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桜之城跡(さくらのじょうあと)
印刷用ページを表示する掲載日:2017年3月30日更新
桜之城跡(さくらのじょうあと)
桜之城は薩州島津氏がこの地方を支配した長禄3(1459)年から天文7(1538)年の間に築城されたものと推測されます。
すなわち薩州島津氏方二代国久は加世田城にあり,三男忠綱を勝目城に,四男秀久を鹿籠の桜之城に置いて鹿籠坊泊方面を支配させました。
桜之城が史書に出てくるのはこれが初めてです。
以後忠将─久定と続きますが,久定は日新公の南薩平定により吉利に移封され,日新公三男尚久が桜之城に入ります。
尚久も永禄5年,32歳の若さで病死し,子忠長の支配となりますが,彼も天正6(1578)年28歳にして串良の地頭として転出し,その後に鹿籠を併領する事になった喜入氏五代季久が,喜入から桜之城入りしました。
なお,桜之城は後代山之城と呼んだとされますが,その年代は明らかではありません。
指定日
昭和58年3月7日