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カツオについて
かつお漁業の歴史
枕崎でかつお漁業がいつ頃から始められたか明らかではありませんが、1707年、森弥兵衛が紀州から来て、かつお節の製造法を伝えたという記録があることから、当時すでにかつお節が商品として取り扱われており、カツオが獲られていたことがうかがい知れます。
江戸時代初期から明治時代後半までのかつお漁業は七反帆と呼ばれる帆船で行われており、漁場は南西諸島付近(沖縄近海)でした。
明治39年静岡県で富士丸という動力船が進水したのをきっかけに、鹿児島県内においても明治41年舞鶴丸が進水して動力船時代に入りました。
動力船の導入により、これまで出ることのなかった100海里内漁場から500海里まで漁場が飛躍的に拡大しました。
枕崎においては、原耕が大正14年から昭和初期にかけて、南方海域の漁場開拓を行い台湾・フィリピンまで漁場を開拓しました。
氷のない時代は漁場が拡大されるに従い、獲れたカツオの保存が難しくなったため"沖イデ"や"島イデ"(注)という方法がとられるようになりましたが、節製品の粗悪化が進み、かつお漁業と節製造の分離(漁製分離)のきっかけとなりました。
(注) 沖イデ、島イデについて
取ったカツオを船内でさばき、煮るところまですませてしまう方法を沖イデ、漁場の近くにある島に工場を立て、同様の処理を行うのを島イデといいます。
カツオの行動
カツオは、北緯40度から南緯40度までの広大な帯状の水域に分布しており、いつも群れをなし、季節によって移動する回遊魚です。
中でも水温17℃から32℃、塩分濃度約3.2%、透明度20メ-トル以上というような清浄な水域の表層100メートルまでを好んで泳ぎます。
日本での漁期は3月ごろ九州南部で始まり、5月ごろ本州中部、8月~9月ごろ北海道南部で終ります。
春から秋にかけて黒潮に乗って北上しながら大回遊することが知られています。カツオの回遊距離は年間2,500kmにもおよぶため、その体型は実にスマートで、機能的にできており他の魚に比べて非常に泳ぎやすくなっています。
カツオの形・色・大きさ
カツオは、典型的な紡錘形をしており、機能的で速く泳げます。
色は背中が黒っぽい紺色をしており腹部は白に銀色の縞模様が入っています。大きさや重さについては、同年齢であっても大小の違いがあります。
また、カツオは最大1m、体重20kg、およそ10年位生きるものと考えられています。
カツオの大きさ
年齢 | 大きさ(体の長さ) | 重さ |
---|---|---|
1年魚 | 約15cm | 約60g |
2年魚 | 約45cm | 約2,000g |
3年魚 | 約60cm | 約4kg~6kg |
4年魚 | 約70cm | 約7kg~8kg |
5年魚 | 約75cm | 約10kg以上 |
カツオの種類
カツオは、分類学上スズキ目・サバ科・カツオ属として分類されますが、カツオ属として1属1種であるため、分類学上珍しい存在です。
一般的にカツオの仲間といわれているハガツオやスマ(ホシタロウ)・マルソウダ・ヒラソウダはカツオ属としての仲間でなく、サバ科としての仲間です。
カツオの名前の起源
「かつお」という字は漢字で「鰹」と書きますが、昔は「堅魚」と書いていました。これは鰹の肉が煮ると堅くなる性質を持っているためといわれています。
カツオの住居・成長・産卵
カツオは太平洋・大西洋・インド洋という世界の大海の北緯40度から南緯40度までの広い帯状の水域に住んでいます。
太平洋のカツオは太平洋中央水域で生まれ、1年ぐらいのうちに南太平洋と北太平洋に分かれて移動(回遊)を始めます。
北太平洋のカツオは黒潮に乗って回遊しながら成長していきます。3年~4年で太平洋中央水域(南洋諸島付近)に帰り、卵を産むと考えられています。
カツオのエサ
カツオは20cm以下の小さなときは動物性プランクトンを主に食べていますが、大きくなるにつれてオキアミ類やカタクチイワシ・イカ類・トビウオ類・アイゴ類・イットウダイ類・マアジ・ソウダカツオ類・カワハギ類・甲殻類や軟体動物と多くの種類を食べていますが、なかでもカタクチイワシが圧倒的に多いようです。